突然、不気味な影が日本を覆った。
全国の老若男女の別無く、突如としてその奇病は進行したのである。水俣病に酷似した症状から、遺体検査の結果予想された通り、高濃度に濃縮されたPCBが内臓系、脳から検出された。
日本のありとあらゆる家庭から、死体の出ない日はそれから数年止まなかった。出生率は落ち、奇形児の間引きが公然と行われた。
発病から一ヶ月の間、厚生省の必死の調査により、PCBの運び手が特定された。集団発病の数ヶ月前より、急激に漁獲高の上がったクロマグロの脂身の中から高濃度のPCBが検出されたのである。
彼らの脂身、すなわちトロの部分に凝縮したPCBは、食卓から日本人種を絶滅の窮地に追い込んだのである。
あたかも、己らがされ続けてきた所業に対する、復讐の如く。
しかし、犯人の判明が、即、問題の解決には到らなかった。
何故、今までのデータからして考えられないほどのPCBが、彼らの肉体に凝縮していたのか、政府は国際チームと共にこれらの原因究明にあたった。
解決の糸口は、思わぬところからもたらされた。ベーリング海の漁師達の些細な証言からクロマグロ達の奇妙な行動が明らかとなったのである。
通常、南太平洋、インド洋等の温かい海域で獲れるはずのクロマグロが近年、彼らの網にかかるようになったというのだ。
さらに驚くべきことに、極地、すなわち北極圏にあってクロマグロが捕獲されたというのである。
謎は溶解した。
彼らは回遊ルートを変更していたのである。それも、本来の生態とは異なる方角へと。
極地では世界中で使用され排出されたPCBを含む有毒物質群が最終的に行き着く場所であった。
成長期の餌場として、南洋ではなく寒冷な極地の海を選んだ事により、クロマグロ達の食性は上がり、結果として高濃度のPCBをため込む事となったのである。
南太平洋でのクロマグロ漁が頭打ちなっていた頃、寒流に乗ってやってくる「来るはずの無いマグロ」により、それまで高嶺の花となっていたクロマグロのトロが簡単に食卓に上るようになっていったのである。
猫の餌までトロマグロを使うほどの、マグロ余りの中、まさに『猫』も杓子もトロを食ったのである。
原因が判明しても、波及的に増加した死者と破壊された遺伝子の経済的損害の計上は、そのまま日本という国が死んだことを意味した。
思えば、マグロ種達は日本人の経済的繁栄に伴い、加速度的に増加した旺盛な食欲の餌食となっていった。彼らは絶滅に追い込まれつつあったのだ。
もし、それら種の危機に何か防衛的な力が働いたとして、彼らクロマグロが選択として北極圏の回遊ルートから、わざと日本人の口に入るために、近海の寒流を通ってきたとしたら・・・。
示唆するが如く日本近海でのマグロ漁が行われなくなると、マグロ達の回遊ルートは再び南洋系に戻っていった。